依然として少子化が続く日本ですが、その主な原因は婚姻数の減少、特に「お見合い結婚」の減少にもあるようです。
かつて日本ではお見合い結婚が主流で、最盛期の1930年代には、実に69.0%がお見合い結婚でした。
国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」
戦後になって徐々に「恋愛結婚」の比率が上がり始め、1960年代後半に、お見合い結婚の比率を上回ります。
それから30年後の1990年代前半になって、日本人の生涯未婚率が急上昇しはじめました。
つまり、結婚適齢期の20代にお見合いしなかった世代が、未婚のまま50歳になったことで生涯未婚率が上昇したということです。
恋愛結婚の比率が上がっても、婚姻数自体が減少しているために、「日本ではお見合い文化が廃れたことで婚姻数が減った」という説が十分に成立します。
一方、最近では「婚活」という言葉が一般的になり、結婚相談所をはじめ婚活パーティー、街コン、婚活アプリなどが多くの人に利用されています。
「婚活」は、全く「お見合い」の代わりになれていないのです。
では「婚活」と「お見合い」の違いは何でしょうか?
「お見合い」には責任が付き物だった
イギリスとインドの共同研究によると、世界の「恋愛結婚」の夫婦と、お見合いを含む「取り決め結婚」の夫婦の幸福度を比較すると、結婚直後の幸福度は恋愛結婚の方が圧倒的に高いものの、結婚10年後の幸福度は取り決め結婚の夫婦の方が高い傾向にあったそうです。
この原因としては、お見合い結婚、取り決め結婚には常に大きな「責任」が伴う事が考えられます。
恋愛結婚であれば、結婚は夫婦”二人”の問題です。
しかし、お見合い、取り決め結婚は全く違います。
二人を紹介し引き合わせた人たち、家族、親族全体に対する大きな責任が伴います。
さらに言えば、お見合いや取り決め結婚が一般的な社会というのは、社会全体としてのしがらみが非常に強く、「社会から求められる責任」というものがのしかかって来ます。
お見合い結婚は、こういう役割を果たす責任を負うことになるのです。
現代の日本人からすれば、こんなものは「古臭いしがらみ」として忌避されるものでしょう。
しかし、これが逆に夫婦の結束の源にもなっているのです。
サン=テグジュペリの有名な言葉があります。
たとえ親同士の取り決めによって与えられた相手であっても、「社会から求められる責任を果たす」という共通の目標を持ったパートナーとしての意識があってこそ、お見合いというものは成立していたのです。
そして、この共通の目標を持ったパートナーと長い時間をともに過ごすことで、自然と愛着も生まれ幸福度が高まっていると考えられます。
婚活は「自分のため」にしかしていない人が多いのでは
一方で、現代日本で婚活に苦戦している男女を見てみると、共通している事があります。
それは「自分の都合」しか考えていないということ。
女は男に高収入・高学歴・高身長を求め、
男は女に美人・家事能力・気立ての良さなどを求めます。
これらはすべて「自分に都合がいいから」ではないでしょうか?
結局、婚活している人というのは、自分の都合のためだけに結婚したいのであって、そこに「責任」という概念が存在しません。
「いっしょに同じ方向を見つめる」どころか、お互いの事も「自分の得になるか」でしか見ていないのです。
これでは、いい関係など作れるはずがありません。
今更日本がお見合い社会に戻るべきとは思いませんが、婚活をするにしても自分の都合ばかりでなく「二人で幸せな家庭をつくる」という共通目標に向かって一緒に頑張れるような人の方が、いいパートナーに巡り会えるのでは無いでしょうか。
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